ヒツジの母が幼女期を過ごした厳原、城下町風情を嗅いだのもつかの間、野生、再びの島、
対馬グランドホテルは、海の崖上、新しい住宅地と隣り合わせに建っていた、
照射で、なかには豪壮な普請も目立ち、裕福な層が心地いい環境を求めて住んだような一角、
しかし、ここにも増えたシカやイノシシの食害が現れており、林床の柔らかな下草は坊主、
土が露出して雨が降れば流れ出すこと必定、あちこちで傾斜が崩れ出しているのを散見した
日本でも、最古とも言える歴史と文化の島も、時代の波に晒されていて、、、
ホテルロビーに飾られていた対馬麻の着物に目を奪われながらのチェックアウト、
まずは、厳原市街地へ、城跡めぐり、と言ってもクルマでそろりと参る程度、宗家城下町、
武家町、商家町には、石垣が多く残されており、昔人の技術と根気の作業に魅せられる、
一本、メインの川を挟んで商店、飲食店が並んでおり、島で二つ目のコンビニもある、
要塞島だった戦前に祖父の赴任先として住んだ母は、この辺りで遊んでたのかな、とヒツジ
要塞島だった戦前に祖父の赴任先として住んだ母は、この辺りで遊んでたのかな、とヒツジ
朝鮮通信使、使節団、提督らを迎え入れた街としての品格や意地が、厳原を包んでいるよう、
その一角の高台に、ずわーんと横たわる巨大な建物、それも新品、ピカピカ、つやつやと、
ちょうど商業施設を伴った市役所の後ろであり、もしかして新庁舎?と思いきや、博物館、
中心部からフェリー埠頭へ出てみた、主に福岡、壱岐、釜山からの船が出入りしている、
島内間の船やチャーター船なども含めれば九州でも屈指の国際貿易港、日韓関係のかなめ、
島内間の船やチャーター船なども含めれば九州でも屈指の国際貿易港、日韓関係のかなめ、
最初、タコやカニを取っているのかな?と思われた、この方、この後、少々やりとりがあり、
引き上げられた正体を見て、なんと、ビックリ!! 思わず、駆け寄ってしまいました、、、
自分で作ったとおっしゃるモリは二本仕様、グライダーで鋭利に研磨されており、、、
突いて仕留めたイシダイは、最大3,6キロあったという、これは2キロ強ではと、とにかく、
護岸から影を落とさないようモリを構えて水面を注視、イシダイがヒラを打った時がチャンス
その場で締めて血抜き、市場でキロ3000円という獲物を手にして、満足気なオヤジさん
イシダイは、釣って、突いて、どちらもやるとおっしゃる原生・対馬の血潮に触れた瞬間、
南下、山は険しくなり、北側より標高が高く、懐も深い様相、瀬川という川筋に西側へ、
河口エンドの堤防脇にちいさな祠、その赤と黄色の派手な色遣い、参って、手を合わせたり
川筋には水田、ちょうど耕して水を入れたところ、シラサギ、アオサギがじっとしてる、
周りからは小鳥たちの声、そよ風、なんとものどかな里山里海、しばらく佇んでしまう、
周りからは小鳥たちの声、そよ風、なんとものどかな里山里海、しばらく佇んでしまう、
漁業の町、港湾も整備されて、かつてはフェリーも就航していたそう、今は静かだった、
折り返して北上、道端でじっとしていた家猫、思わずクルマを停める、山中に居たので、
針を呑まれてキープしたキスを貰ってもらう、咥えて山側へ走り去った、無益にならず安堵
列島4島を除いて、佐渡、奄美に次いで3番目面積の対馬、タテに約100㎞、幅18㎞、
信号機がほとんどない状態でも、一般道の、しかもヤマネコを意識した走りでは長い、
再び、瀬川の流域に戻り、鮎戻しの公園を探し当てる(1回目は通り過ごしていた!)
大きな大きな一枚岩をまるで段差のある滑り台のように水が流れ落ちていく。夏だな、ここは
スライダーあとの飛び込みを想定する夏、ターザンもできる結びコブつきロープも下がる、
せっかくのこの対馬のために池袋で買ったスイムウエアの装着を想像してたと語るヒツジ、
むむっ、これはなに? 渓谷から登る崖壁に蓋をして重しを載せた墓のような構造物が、、
用途、目的、誰かに聞こうと思ったまま、つい忘れて帰って来ていて、はて誰に聞けば、?
用途、目的、誰かに聞こうと思ったまま、つい忘れて帰って来ていて、はて誰に聞けば、?
瀬川を再び降って、再度の河口へ、穏やか、淡水と海水の程よい入り交じりを感じつつ、
折角だからと竿を出す、のんびり、淡々と、こんなトーンとリズムでいいのだな、対馬は、
キューンと竿先が持っていかれて、慌てて巻き込むと、このコ、口が前に飛び出てくる、
クロサギ、人馴れして、砂浜で出会うと一緒になって泳いでくれたりするいいコ、いいやつ
たっぷり肥えたメゴチには驚く、お腹が大きい、キスと同じ産卵期なのだ、春を釣ってる、
石で屋根をふいた高床式の倉庫が二軒三軒、河岸に建っている集落は椎根、
かつて対馬の島内のあちこちに石瓦屋根は存在したが、今ではこの一帯のみという
かつて対馬の島内のあちこちに石瓦屋根は存在したが、今ではこの一帯のみという
椎根というぐらいだから、対馬名産の椎茸の待ちかなと思ったが、全て、
石材で財を成したそうで、石屋根もさることながら、良質の硯石によると古老から聞く、
川筋を、佐須川という流れに変えて、河口へ向かう、川端に対州そばのそば打ち工房、匠
そば道場を併営して、伝統のそば打ち、そば作りを伝習しながら味わえるという二刀流、
ざるそば、つなぎを使わない対馬地粉100%、野趣あふれる素朴で明快な歯ごたえ、切れ、
かけそばを食べて、ヒツジがつい口にしたのは、懐かしい!のひと言
なんでも、長崎市内に住んでた頃、市役所の近くに母親の好きなそばやがあり、似てるとか
なんでも、長崎市内に住んでた頃、市役所の近くに母親の好きなそばやがあり、似てるとか
つまりは、長崎市内にあったそばも、この対馬から来たそばではなかったのか?
日本に伝来したそばの中でも、もっとも古い部類の種子とされる対州そばのロマン譚
日本に伝来したそばの中でも、もっとも古い部類の種子とされる対州そばのロマン譚
佐須川の河口が今夜の宿のある小茂田浜、まだ陽は高く、竿を出してみた、、
ヒツジは、この佐須川、小茂田浜には相応の期待を持っていた模様、川質がいい感じと、、
しかし、針のエサはなくなっているものの、一度強いアタリがあったままで魚の姿は見ず、
ドライブに切り替えて北上、阿連を抜けて、浅茅湾(あそうわん)の内海へ入り込んでみる、
アオノリの栽培が行われて、里海の光景に見入ってしまう、長閑な遅い午後の時間とうとう
アオノリの栽培が行われて、里海の光景に見入ってしまう、長閑な遅い午後の時間とうとう
淡水と海水が入り交わる、こういう理想的な干潟というのは、人間が意図的に残す、
つまりは、アオサやアオノリ栽培のような人間利用を前提としなければ残せないのか?
つまりは、アオサやアオノリ栽培のような人間利用を前提としなければ残せないのか?
コンビニで、今夜の飲料を買うために、一旦、厳原市街地へ戻る、中心地の大川周辺、
横に書かれた通り、登城の光景から想像するに、通信使も、相当にくらいの高い人物が来た、
600年間の歴史があり、日本の皇室とも関わりの深い李王朝からの使者だけに大イベント!
で、佐須川河口、小茂田浜の民泊、増田さん宅へ伺う、ピンポーン、人生初の試みだった、
立派なお庭、園芸の素晴らしさ、多彩な調度品の数々、賄うご夫婦のお人柄がしのばれた、
通されたお部屋は、ご自慢の客間、出されたお茶、あんこを包んだカステラ、ひと息つける、
夕の膳まで、まだ時間あるので、小茂田浜の夕日を見てらっしゃい、とみっちゃん(奥さん)
促されて、水が張られた水田脇を歩くと、アオサギが何かをついばんでる、素晴らしい夕凪、
促されて、水が張られた水田脇を歩くと、アオサギが何かをついばんでる、素晴らしい夕凪、
誘われるように、浜辺、傍に祠があって、やはり吸い込まれるように参道を歩いていく、
はて、この方々は? 大きな銅像があり、根元で10名ぐらいが佇んで談笑、望遠レンズ、
なんでも、対馬に寄る飛来鳥を撮影するグループだそうで、全国各地から来ていたのだった
なんでも、対馬に寄る飛来鳥を撮影するグループだそうで、全国各地から来ていたのだった
サンセット、対馬西海岸ハイライトとか、こちらにもカメラを向けている人たちもいた、
小茂田浜は、古戦場でもあった、3万人の元寇に対してたった80騎馬で立ち向かった!
壮絶な玉砕を遂げた対馬の防人頭、宗助国、この日、3日ということもあり、日の丸高く
壮絶な玉砕を遂げた対馬の防人頭、宗助国、この日、3日ということもあり、日の丸高く
ところで、海辺の山々、ここでも下草が食べられて土が露出、刈り込みのようになっていた
鹿も猪も、増えたから、という理由の他に、食べ物がないから里海に降りて来たのでは?
歴史と自然の思索散歩もできたところで、宿・増田邸に戻ると饗応の料理が待っていた
カンパチのほお肉、アナゴ、アジ三杯酢、写真にはないが、刺身5種をひとりでひと皿、
カンパチのほお肉、アナゴ、アジ三杯酢、写真にはないが、刺身5種をひとりでひと皿、
生ビールから入り、焼酎ヤマネコ、実は、ほとんど記憶にないのだが、ストマックオーバー
極め付けのイノシシのすき焼き、ヒツジも近年稀に見るという腹爆裂、翌朝の陳謝へと
極め付けのイノシシのすき焼き、ヒツジも近年稀に見るという腹爆裂、翌朝の陳謝へと

















































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